映画「あの頃。」と私の「あの頃。」

映画「あの頃。」を鑑賞してきた。

好きな俳優さんが出るので事前にチェックはしていたけれど、試写を観た人やライターの人たちが「オタクの映画」「推しがいる全ての人へ」「推しがいる人は見て欲しい」と言うので余計気になり、わざわざそれに合わせて休み希望を出して観に行った。

 

主人公の劔(松坂桃李)がハロプロと出会い、推しとハロプロを通じて同じハロプロオタクの仲間に出会い共にオタ活と言う名の青春を謳歌すると言う話。

 

まず、物語序盤、劔が推しのあややに出会った瞬間が「分かる、分かるよその感覚」と思ってしまい何故か泣きそうになってしまった。

 

推しに出会った瞬間というものは推しがいる人なら必ず経験したはずで、一目惚れのように一瞬にして虜になった人。知って行くうち追って行くうちに徐々に好きになりいつの間にかのめり込んでしまった人。各々に"推しが推しになった瞬間"があると思う。

 

その"推しが推しになった瞬間"とその後の劔の行動や表情が、オタクなら誰でもある「推しを見る幸せなオタク」の顔そのものだった。

 

めでたくあやや推しになったことで同じハロプロ好きの同士と出会い、推しについて語るオフ会やDVDの鑑賞会を重ね立派なオタクになって行く劔。

気づけば劔の部屋はあややまみれになった。めちゃくちゃオタク楽しんでるなぁ劔。輝いてるなぁ劔。"あの頃"に戻れないからこそ、楽しかったからこそ、心の底からオタクを楽しんで輝いているオタクってめちゃくちゃ羨ましくなる。

 

オタク仲間も個性豊かだが、皆推しに対する想いとか考えは心の底から共感できる。台詞一つ一つに(心の中で)首がもげるほど頷いたしグッときて目が潤んだ。

 

私にも「ときどき思い出すみんなと過ごしたあの頃」と聞いて真っ先に思い浮かぶ推しがいる。今も別の推しはいるけれど、"あの頃"の推しはとても特別で、きっと私の"永遠"だと思う。

 

ーーーここからは映画を観てより鮮明に思い出した、私の長くて濃い約8年間の「あの頃」の話。

 

当時の私はあるアイドルに夢中だった。事務所の中では大所帯のグループで、私の推しは芸歴が比較的短く実力もあまりなかったので万年後列の端っこ。テレビで抜かれることもソロパートもほぼ無い、周りに言っても「誰それ?」と言われるような子だった。

それでも好きで好きで仕方なかった。センターとかセンターじゃ無いとかどうでもよかった。それよりも推しが綺麗で尊かった。

 

本当に推しのことで頭がいっぱいで、Twitterでオタク仲間とひたすら語って、ライブ会場でも会って語って、学校の休み時間や放課後も推しの話しかしなかった。

 

当時中学生の私はお小遣い制ではなくお年玉で一年をやりくりする、というシステムだったので毎年お正月にお年玉を貰ったら、まずはそのお年玉のうち毎月どのくらい推しに使えるか計算するところから始まった。

 

ファンクラブの会費や毎月買う雑誌代。

CDやDVDは初回から通常まで全部買うし、推しが写っているグッズは全部買った。部屋は劔と同じようにグッズまみれ。筆箱にもシールを貼っていたし、学校の給食の時間にもCDを持参してかけてもらっていた。テレビは絶対にリアタイと録画どちらもするし、たとえCMでも、寝ている時に流れたら飛び起きて観た。

ライブがある度に地元から片道3〜4時間かけて、朝イチの始発で行った。ライブの時間よりも移動時間の方が数倍もかかった。

 

それくらい推しに全てを捧げていた。

 

多分周りは引いていたと思う。

 

そしてオタクに対する偏見や毛嫌い、白い目もあった。

「なんであんなやつ好きなの?」「オタクとか気持ち悪い」「私あなたの推し嫌いなんだよね」

勿論傷ついたけれど、それでもいい。

私は、自分はダンスが苦手だからと他のメンバーの休憩中も自主練をする推しとか、自分はここにいていいのか何ができるのか悩んでいた推しとか、受験勉強と仕事を両立していた推しとか、コンプレックスがあった推しとか、東京ドームのステージで5万5000人の前でたった1人で立った推しとか、本当はめちゃくちゃ悩んで苦しんで頑張って、誰よりも格好良くて強くて誇らしい推しの姿を知っているから。

 

いつ好きになったかは明確には覚えていない。他のメンバーが気になり購入したライブDVDを観ているうちに、いつの間にか推しになっていた。

 

推しのおかげでオタク友達にも出会えたし、その友達のおかげでよりオタ活が濃く充実したものになっていたと思う。年齢や出身地、仕事や学校、育ってきた環境、今ある環境も全て違うのに、"同じものが好き"という理由だけで仲良くなれるって凄い力だと思う。今でも何人か連絡を取ったり、遊んでくれたりする友達もいる。

推しって一生分の幸せと思い出もくれるけれど、一生分の友達もくれる。推しって偉大だ。

 

オタク友達とTwitterで「推しのここが好き」「ここが凄い」「この推し可愛いから見て」「本当だ可愛い!」「私の推しも可愛いから見て」「あの曲のここが…」「ここの振りが…」「ここの演出が…」とただ言い合うだけで数時間経っていることもあった。

皆でテレビ番組をリアタイしながらTLを飛び交う「ビジュが良い」だの「今の◯◯可愛い」だの「格好いい」「尊い」だの。偏差値2のやり取りを繰り返すだけでとてつもなく楽しかった。

 

馬鹿らしい話だけでなく、時には真面目に語り合うこともあった。オタクは推しのことしか考えていないように見えて、実は先のことやかなり深いところ色んなところを真面目に真剣に考えていて、それは時に「オタ卒」「推し変」「推しの脱退、卒業」「推しのスキャンダル」「自分自身の将来」「推しの将来」という難しく悲しい話題であったりもする。

馬鹿話も真面目な話もできるからこそ、同じ界隈を生きる同士として包み隠さず胸の内を吐き出せるからこそ、オタク友達といる時間は楽しい。

 

私は当時の推しを小6〜20歳まで約8年間推していたのだが、8年間で推しが花開いたことは正直全くなかった。某有名学園ドラマにメインキャストで出演したこともあったが、演技経験の少なさから大根役者と言われ、その後演技の仕事は3年間一切無かった。バラエティ番組に出ても特に爪痕も残さずに終わることが多かった。他のメンバーは主演映画や主演ドラマ、連ドラや映画出演、雑誌モデル、番組MCなど沢山活躍しているのにどうして?

 

誰よりも優しくて自分より周りを優先してしまうような推しが、いつもどこか情けなくて自分に自信がない推しが、報われてほしかった。

 

いつか大きなことを成し遂げてくれる。

 

そう信じて待ち続けたオタク7年目。

 

シングル曲で、推しが裏センターになった。

 

あくまでも裏センター。

でもデビューしてからずっと後列端っこが定位置だった推しが、デビュー9年目にしてようやく真ん中で踊っていた。

 

めちゃくちゃ泣いた。

 

ライブでスタンド最前列、ステージを正面から見られる席から真ん中で踊る推しを見て、今までの全てが報われた気がして、隣の知らないお姉さんにも心配されるくらい泣いた。

 

完全なセンターではなく裏センターだし、基本的に曲の2番でしか見せ場がないのも変わらない。けれど、何よりも誇らしくて何よりも格好良くて、世界で一番大好きだと心の底から思った。

 

推しが私に与えてくれたもの支えてくれたことは数え切れないほどあっても、私が推しに与えられたこと支えられたことはきっと0.1%も無い。きっと私がいてもいなくても、何も知らずに、一切関係なくあの子は生きていくんだと思う。

 

それでもあの瞬間「あぁもうこの子は私がいなくても大丈夫だ」「もう私の役目は終わった」と思った。

 

そこから推しへの気持ちが次第に落ち着いていき、その翌年、推しのデビュー10年目私のオタク人生8年目にしてオタ卒をした。

あんなに狂ったように好きだったのに、人生の中心だったのに、一生応援すると言ったのに、終わりって本当に来るんだと自分のことなのに信じられなかった。

正直今でも少し信じられない。

 

推しが育って行く過程を見るのが好きな私は、もう推しを育て切ったんだと思う。

 

今の推しには失礼極まりないが、当時の推しは特別で、きっとあの子を超える推しはこの先現れないと思う。というか現れないで欲しい。あの子は私の永遠だから。世界一の推しでいてくれてありがとう。世界一幸せにしてくれてありがとう。永遠をありがとう。

 

オタ卒から4年経って、当時のオタク友達もほとんどオタ卒や推し変をしてしまい今も変わらないオタクはほんの数人しかいない。

いつまでも夢中になって応援できるって簡単なことではないから、とても健気だしとても羨ましい。私もそうでありたかったなぁと思ってしまう。

 

今でもたまに楽しかった当時のことを思い出して懐かしく恋しくて、猛烈に戻りたくなる。あまりにも恋しすぎて泣いてしまいそうにもなる。離れ離れになってしまった当時の友達ともまた会いたいし、あの青春をもう一度感じたい。

 

そう思っても戻れないのが現実で、馬鹿らしいけれど本当に本当に愛おしい私の「あの頃。」は永遠に私の「あの頃。」であり続けると思う。

 

推しがいる全ての人、推しがいた全ての人へ、戻れない「あの頃。」がきっと愛おしくなるはず。

そしていつか今の推しが数年後の「あの頃。」になるかもしれない。